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2026年3月9日

AIエージェントで切り拓く、属人化を克服する組込ソフトウェア開発の最前線

生成AIの進化は、私たちの働き方や開発の現場に急速な変化をもたらしています。文章作成や設計補助など、さまざまな業務で活用が進む一方、あらゆる分野で同じように生成AIの活用が進んでいるわけではありません。実はこれまで、組込機器のソフトウェア分野では、あまりAI活用が進んでいませんでした。
富士ソフトは、こうした技術の潮流を意識しながら、新たに「AIエージェント」を組込開発の現場でも利用できるようにする取り組みを進めています。本記事では、組込開発が抱えてきた課題を振り返りながら、AIエージェントをどのように活用しようとしているのか、その開発を進める田中 総一郎と武井 真から話を聞きます。

組込特化型ナレッジ基盤AIエージェントの特徴
  • 難解かつ分量の多い組込機器ドキュメントを、簡単な操作でAIが扱いやすい(AIネイティブな)形式へ変換し、AIエージェントが活用できるナレッジ基盤へ取り込む
  • 数千ページ規模のドキュメントをAIネイティブなデータに変換する作業工数を大幅に削減
  • ドキュメントに蓄積されたナレッジをAIエージェントが参照・活用することで、これまで属人化していた知見やノウハウを組織全体で共有可能にし、生産性を大幅に向上
  • ローカル環境で稼働するため、機密情報を外部に出さずに安全に運用
登場社員のプロフィール
  • 田中 総一郎
    技術管理統括部 生成AI部 技術開発室
    室長

    大学時代にプロスノーボーダーとして活動し、メディア撮影を通じて日本や海外で活躍。大学の授業を機にWeb開発に興味をもち、引退後はWeb業界に進出。その後、AIスタートアップで活動範囲を広げ、生成AI部の技術開発室で「人とテクノロジーが共に進化し、価値創造に集中できる世界の実現」を目指し、自律型AIエージェント群とオーケストレーション基盤の研究開発を推進。Devin・OpenHands・Cursorといった最先端サービスを導入し、AI駆動開発フローの確立に取り組んでいる。
    GUI操作Agnetやテスト駆動Agnet(仕様駆動TDDAgent)に加え、オーケストレーション基盤上で多様なサブエージェントを組み合わせて利用できる環境を整備し、社内業務の自動化やソフトウェア開発のE2Eテスト自動化などの活用を推進。

  • 武井 真
    技術管理統括部 生成AI部 技術開発室
    課長

    制御系アプリケーション開発を起点に、組込システムから業務系システム、クラウド基盤まで、幅広い領域で開発・設計に携わってきたエンジニア。印刷機器・通信機器向け制御アプリや組込機器向けXMLデータベースの開発、Web/Windowsアプリケーションを含む業務システム開発など、多様なプラットフォームでの経験を有する。
    飲食店向けPOSシステムではプロジェクトマネージャーとして現場を牽引し、顧客との信頼関係を重視したプロジェクト運営を実践。また、ニアショア開発拠点の立ち上げにも関わり、高付加価値な開発を担える体制づくりを推進した。
    AWSやAzureを活用したクラウド基盤構築や、医療分野におけるPHR基盤構築、法規制対応を含むプロジェクトに参画し、技術と制度の両面からの支援を行ってきた。
    現在は生成AI領域に注力し、システムインテグレーション事業本部におけるAI活用推進の中核人材として活動。特に組込分野に特化したAIエージェントの実践的な適用に取り組んでいる。

属人化しやすい組込ソフトウェア開発

組込ソフトウェア開発とは、自動車や家電、産業機器などに組み込まれ、特定のハードウェア上で動作して機器の機能を制御するソフトウェアの開発を指します。組込ソフトウェアの特徴は、各社特有の仕様に関するデータがネット上にないため、LLM(Large Language Model:大規模言語モデル)が詳細情報を学習できていない点です。これは、組込開発の機密性が非常に高いことが理由です。
そのため、開発現場ではマイコンマニュアル(マイクロコントローラと呼ばれる小型コンピュータチップを適切に操作・使用するための詳細な手引書)や回路図、クロックツリー(チップ内でクロック信号を均一に分配する配線構造)など、機密性・専門性の高い組込機器の資料を人が読み解き、ソフトウェア設計に反映させる必要があります。特にマイコンマニュアルは2,000ページ規模に及ぶこともあり、文章だけでなく複雑な図や表が多数含まれ、それを理解しなければ開発が進みません。

こうしたドキュメントは、どこに何が書いてあるかを把握するだけでも知識と経験が求められます。ベテランのエンジニアであれば、「この図を起点にこの章を読む」など自然に判断できますが、経験が浅いと、まず理解するだけで膨大な時間がかかります。結果として、特定の人しか対応できない状況が生まれ、開発が属人化しやすくなる、これが組込ソフトウェア開発の大きな課題なのです。

組込開発にはAIエージェントを活用できる

前述の通り、組込系ソフトウェアは機密性が高く、各社固有の組込機器や関連するソフトウェアの情報(マイコンマニュアルや設計資料)が、LLMに学習されることはほとんどありません。その結果、例えば学習されてない内容をAIに聞いても、概要的だったり、的外れだったりする回答しか得られない状況がこれまでは続いていました。人間の経験と勘で補ってきた部分が多く、生成AIが入り込む余地が限られていたのが実情です。

AIの進化とともに、属人化などの組込開発の課題を解決できる可能性を秘めているのが、近年よく耳にする「AIエージェント」です。
AIエージェントとは、人がある目的・指示を与えると、生成AIが自律的にタスクから考え、実行プロセスを決め、目的の事項を達成してくれる仕組みを指します。秘書やコンシェルジュのような役割から開発支援まで、幅広い用途に応用できます。今急速に普及していますが、AIが知らない情報をどのようにインプットするのかという点が課題となっています。
これまでは企業として大きな投資をしなければ利用できなかったAIエージェントですが、開発競争の恩恵もあり、コストも手頃に、汎用性も高まり、今では対応できる業務範囲もかなり広がってきました。当社はまさに今、このAIエージェントを使った組込開発を推進し、社内のプロジェクトで試験的に導入しているところです。

ローカルでの稼働とRAG化で、AIによる案件固有のナレッジ活用と機密保持を両立

一般的にLLMは、クラウド上の外部サーバーにアクセスして稼働します。利便性が高い一方で、機密情報を外部に送信することへの不安から、組込開発では利用が敬遠されるケースが少なくありません。そこで求められるのが、社内サーバーなどローカル環境で生成AIを動かす仕組みです。ただしローカル環境ではモデル規模が小さくなりやすく、精度の確保が課題になります。
この課題に対して取り組んでいるのが、組込に特化したRAG(Retrieval Augmented Generation:検索拡張生成)のワークフローの構築です。RAGとは、生成AIによって知らない知識を補い、開発フローに組み込む技術です。マイコンマニュアルや回路図をテキスト化・画像化し、前処理を施したうえでRAGに取り込むことで、AIが文脈を踏まえた回答を返せるようになります。機密情報を守りながら、AIの理解力を補うための重要な工程です。

また組込機器は製品ごとに仕様がまったく異なるのと、機密性を確保することが必須なので、別の組込開発で利用したRAGを、他の組込開発では使えないという事情もあります。そのため、プロジェクト単位でRAG化を行う必要があるのです。
RAG化の前処理にはかなりの時間がかかりますが、AIエージェントにインプットすれば自律的に処理を進めて、700ページのドキュメントであれば約10時間程度で終わります。例えば開発現場で終業時にボタンを押して始動すれば、夜の間にAIネイティブなドキュメントへ変換し、次の日の出社時には終わっているという流れになります。もし人がAIのチャット画面を使いながら、2000ページのドキュメントを手作業でAIネイティブなドキュメントに1ページずつ変換していくとすると膨大な時間がかかります。エージェントを活用しても一定の時間はかかるものの、数千ページのドキュメントを手作業で変換するのと比べれば、かなり生産性向上に寄与してくれます。

組込特化型AIエージェントで社内の生産性を向上

AI技術の進化速度は非常に速く、数カ月前の知識がすぐに古くなるような状況です。この流れの中で、汎用的なAIエージェントが次々と登場しています。特に業務系のAIエージェントは非常に速いスピードで進化を重ねており、投資回収をする前に、新たな製品が出てきてしまうことも多いのです。当社は、こうした流れを踏まえたうえで、あえて「組込特化型」に注力してきました。

組込分野はAI活用の阻害要因が多く、まだ十分に進んでいない領域です。組込特化型のAIエージェントが実現すれば、設計時の相談や仕様書・ソースコードのレビューをAIに任せることが可能になります。2,000ページのドキュメントを人が1ページずつ確認する必要がなくなるだけでも、業務効率は大幅に向上します。属人化を防ぎ、新人のキャッチアップを早めることは、結果として組織全体の生産性向上につながります。AIエージェントは、ベテランの「頭の中」にあった知識やノウハウを、誰もが使える状態にできる存在と言えるでしょう。
とはいえ、組込開発未経験の人が扱ってもうまくいくかというと、そう簡単ではありません。やはり最終的には人がチェックし、指示を出さなければならないため、組込開発の経験はある程度必要になると考えています。

最先端を走り続け、仕組化を進めて貢献する

この業務へ取り組んで痛感することですが、とにかく進化が早く、学んだ内容がすぐに陳腐化してしまいます。3カ月前に学んだことを実用化に向けてテストしているうちに、もう古くなってしまうほどです。常に最前線に立ち続けることは、AIを開発するエンジニアにとってとても重要なことなので、必死に食らいついていっているのが現状です。これからもその努力を続けて、まずは社内の開発プロジェクトのAI活用の普及や適用工程の拡大、生産性向上を推進していきます。最近は、お客様の開発環境へのAI活用や生産性向上のご依頼も増えてきております。(田中)

最先端の技術に取り組む一方で、場当たり的にならないことも重要です。求められるのは、再現性や定着を意識した仕組みづくりなので、単に新しい技術を追いかけるだけでなく、その技術を使うとどうなるか、説明責任を果たすことも大切にしています。とはいえ繰り返しになりますが、定着させようとすると、すぐにアップデートされた最新のLLMが出てくるので、やはり大変ではありますね。(武井)

今は社内利用を見据えた検証を進めている段階ですが、想像以上に良い結果が出ています。現場からも「早く利用できるようになるとありがたい」という声をいただくことも多く、我々開発チームの励みになっています。組込開発の現場で少しでも早く活用できるよう開発を進めており、まもなく一部案件にてパイロットプロジェクトとして利用を開始する予定です。ナレッジ基盤AIエージェントは、組込領域に特化して開発してきましたが、業務系開発でも活用可能であることから、業務系プロジェクトにも展開してほしいという要望をいただいています。こうした声を踏まえ、活用範囲を業務系へも拡大するための開発を並行して進めています。社内で知見が溜まれば、当然社外向けの展開も見据えたいと考えています。さまざまな分野で活用が進むと、仕事のやり方が大きく変わってくるでしょう。

※記載の会社名、製品名は各社の商標または登録商標です。